プラダ財布激安
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null「じゃア、武智さん、お気をつけて。」 「諸君、無事な航海を祈りますよ。また東京に帰って来たら、あすこの店で落合いましょう。」 「武智さん、それまで御機嫌好う。」 「諸君も、御機嫌好う。」  二人は靴音を立てて、引き返して行った。私はよろよろと玄関の中へよろけ込みながら、「気持のいい男たちだな。あんな男たちにめぐり会えるのも、酒呑みの功徳というものか。」と、さっきの苦しさは忘れ、尠からず悦に入っていた。  それから暫く経って、或る晩、私は例の如く泥酔して帰って来た。その晩は、不愉快なことがあって、私の胸はむしゃくしゃしていた。たまたま新宿へ出て行って、もう十二時を過ぎていた。散々梯子をした後、まだ飲み足りなくて、通りがかりに、一度だけしか寄ったことのない店へ飛び込んだ。所は新宿なのに、界隈のつもりで、多寡を括って飛び込んだのが、過ちのもとだった。おかみでもいれば、若しかしてよかったかも知れなかったが、番をしていたのは、一見おぼっこい顔をした娘だった。 「ねえちゃん、おかみさんはいないのか。」 「病気で、一週間ばかり休んでいるわ。」娘は見知らぬ酔っ払いと見て、顔に似げなく、最初から素っ気なかった。 「俺は、一度だけだけど、おかみさんを知ってるんだ。もう電車賃しか残ってないんだが、一杯飲ませてくれないか。」 「駄目、駄目。」 「一杯だけでいいんだ。新宿へは度び度び来るんだから、今度来た時、必ず済ませるよ。」 「腕時計でも置いて行くなら、一杯ぐらい飲ませないことはないわ。」娘は煙草を吹かせながら、そっぽを向いて言った。 「じゃア、いい。」と私は店を飛び出した。 「甘っちょろ。」  追っかけて、娘の罵声が聞えた。私は、酔いも一時に醒める気持だった。私は屈辱を噛みながら帰って来た。自分の見境ない甘さにも腹が立った。玄関を入ると、みな寝静まっていて、家の中はまっ暗だった。玄関の間に寝ている上の娘の枕許を、私は手探りで通り抜けて行った。その時、娘の健かな寝息が聞えた。勉強家の娘は、恐らく十二時過ぎまで起きて、本を読んでいたことであろう。今は深い眠りに落ちているらしかった。と、襖の向うの茶の間では、私の足音に驚いてか、誰かが寝返りを打つ音が聞えた。茶の間には、妹と下の娘が寝ているのである。妹も遅くまで起きて、洋裁をしていたことであろう。下の娘は、所在なく、早くからごろっと寝ていたことであろう。若しかしたら、その寝返りの音は、早くから寝くたびれた下の娘のさせたものかも知れなかった。兎に角、上の娘の健かな寝息と、茶の間の寝返りの音を聞きつけた瞬間、私は突如言いようのない哀しさに襲われた。彼女等の営みをよそに、外に出て飲み呆け、屈辱を噛み、自分の甘さに歯ぎしりしながら帰って来たこの父、この兄である自分が憐れであると同時に、この父、この兄に何事があったとも知らず深い眠りに落ちている彼女たちが憐れでもあったのだ。  私は居間の電燈を点けた。妹か上の娘か、誰の手を煩わせたのか知らないが、寝床は延べられてあった。私は煙草を一服吸おうと、机の前に、ドカリと趺坐をかいた。机の上に、一通の封書が載っていた。「北海道にて、海底線布設船北斗丸より、野々間三造」としてあった。「初雁」でゆかりを結んだ船員の一人であることが、直ぐ知られた。そしてそれは、眉が濃く、眼尻の皺が鉤のようになった若者にちがいないと思われた。彼は、私が初めて「初雁」で落合った晩、「孤独」と題する、海上生活の淋しさを歌った自作の詩を、私に書いて示したことがあった。 「謹啓其後御無沙汰致しました。大分涼しくなって袷が欲しい様な頃ですね。相変らず御元気ですか。例のカストリ屋で飲んでいる姿が目に見える様です。余り飲んでは不可ないと思います。どうかお書きになって下さい。是非お願い致します。  カストリ屋のマダム| X《エツキス》様によろしく。名前を知らないからX様と書きました。悪しからず。